LC‐MS/MSマトリクス効果対策の安定同位体内部標準と標準添加法
LC-MS/MS分析におけるマトリクス効果とは何か
LC-MS/MS(液体クロマトグラフ質量分析法)は、高い感度と選択性を持つ分析手法として、医薬品分析、食品・環境試料の検出など幅広い分野で活用されています。
しかし、高感度化に伴い、サンプル中に含まれるマトリクス成分(共存物質)による「マトリクス効果」が分析結果に大きな影響を及ぼします。
マトリクス効果とは、試料中の目的成分以外の化合物(マトリクス)が、イオン化効率などに影響を与えることで、本来の分析対象の定量性や感度、再現性を低下させる現象です。
具体的には、イオン抑制やイオン増強が主なマトリクス効果として知られており、これにより得られるピーク面積や信号強度が実際の濃度を適切に反映しない場合があります。
これらの影響のため、LC-MS/MSを用いた定量分析では、マトリクス効果への適切な対処が求められます。
マトリクス効果の発生メカニズム
LC-MS/MSでは、サンプル溶液がイオン化されて質量分析計で検出されます。
このイオン化過程において、共存する種々のマトリクス成分が目的成分のイオン生成を阻害(抑制)したり、逆に促進(増強)したりする場合があります。
代表的なマトリクス効果の発生源は以下の通りです。
1. コアリューションと共溶出
目的成分と同時に溶出する未知または既知の化合物(リン脂質、タンパク質分解物、糖など)がイオン源で干渉し、電荷の供給や受容に影響を及ぼします。
2. イオン抑制・増強
イオン源(ESIやAPCI)内で生じるイオンの競合によって、マトリクス由来化合物の存在が本来イオン化されるべき目的成分のイオン化効率を変化させます。
この現象は、抑制ならピーク面積低下、増強なら予想外の高いピーク面積となって現れます。
3. 不均一なサンプル組成
サンプルごとの成分差異によって、標準液と実試料のイオン化環境が大きく異なることがあり、定量精度に深刻な影響を与えます。
マトリクス効果の評価と定量的指標
マトリクス効果を評価する一般的なアプローチは、純粋な標準液(溶媒中の標準物質)およびマトリクス溶液(前処理した試料マトリクス中に標準物質を添加したもの)のピーク面積比を比較する方法です。
例えば、以下の式でマトリクス効果(ME: Matrix Effect)を定量できます。
ME(%)=(マトリクス抽出中ピーク面積 ÷ 溶媒中の標準液のピーク面積)× 100
100%を下回ればイオン抑制、超えればイオン増強が起こっていることになります。
マトリクス効果はサンプル調製手法や前処理方法、カラム選択、イオン化条件などによっても変動します。
そのため、各サンプルごとにマトリクス効果の評価と対応策の検討が不可欠です。
マトリクス効果対策の基本方針
LC-MS/MS分析でマトリクス効果を低減し、正確な定量値を得るためには、主に以下の4つの対策が有効です。
1. 試料前処理の最適化
固相抽出(SPE)、液液抽出(LLE)、タンパク沈殿などの適切な前処理によって、マトリクス成分を最大限に除去することが重要です。
2. クロマトグラフィー条件の工夫
カラムの選択やグラジエント条件を調整し、目的成分とマトリクス成分を分離することで干渉を減らします。
3. イオン源パラメーターの最適化
ESI電圧や温度、ガスフローの調整などでイオン化効率を向上させることも有効です。
4. 定量指標の精度向上
標準添加法や内部標準法など、サンプル毎にイオン化効率の補正を行う手法を導入します。
特に、内部標準法(安定同位体内部標準利用)と標準添加法は、実試料中でのイオン化効率変動を高精度で補正できる方法として広く活用されています。
安定同位体内部標準法によるマトリクス効果の補正
内部標準法は、分析対象と物理化学的性質がきわめて類似し、かつLC-MS/MSで分離・識別可能な化合物(内部標準物質)をサンプルに添加して測定する手法です。
特に、安定同位体でラベルした内部標準(Stable Isotope-Labeled Internal Standard:SIL-IS)は、目的成分とほぼ同じ構造を持ち、水素や炭素などの一部を安定した^2H、^13C、^15Nなどに置換したものです。
安定同位体内部標準のメリット
1. 目的成分とほぼ同一の物理化学特性を有するため、抽出効率やイオン化効率の変動に対して同様の影響を受けます。
2. LC-MS/MSの検出では質量数差で容易に識別でき、正確なピーク同定と補正が可能です。
3. サンプルマトリクスによるイオン抑制・増強の影響を、内部標準物質/目的成分両者で同程度に受けるため、測定時にこれらを比率で補正できます。
4. 分析工程全体(前処理、クロマト分離、イオン化、検出)を通じて一貫した補正効果が期待できます。
安定同位体内部標準法の実践
サンプル調製の初期段階で既知濃度の安定同位体内部標準物質を添加します。
以降の全工程で実際の目的成分とともに挙動します。
測定時には、目的成分と内部標準のピーク面積比を用いて検量線を作成し、正確な濃度定量を行うことができます。
特に、バイオサンプル(血清・血漿、尿など)のようなマトリクス効果が顕著な試料で、本手法は不可欠な定量補正策となっています。
標準添加法によるマトリクス効果の排除
標準添加法(Standard Addition Method)は、未知サンプル中の目的成分濃度を正確に定量するためのもう一つの有力な手法です。
この方法は、いくつかの分画(アリコート)に各々既知量の標準物質(目的成分)を段階的に添加し、それらの応答(ピーク面積)から実サンプルに対する検量線をその場で作成するやり方です。
標準添加法の特徴とメリット
1. 各サンプル特有のマトリクス効果を直接補正できるため、不明なイオン抑制・増強があっても正確な定量が可能となります。
2. サンプルごとの前処理やイオン化環境差異を緩和できます。
3. 内部標準物質が手配しづらい場合や、安定同位体標準が存在しない化合物にも適用可能です。
標準添加法の手順
1. サンプルを等分し、複数のアリコートを調製。
2. 各アリコートに既知濃度の標準物質を異なるレベルで添加。
3. 同じ手順で前処理・分析を行い、各添加量でのピーク応答をプロットして検量線を作成。
4. 検量線のx切片より未知サンプルの実濃度を逆算します。
この方法は、特にマトリクス効果が著しく、前処理後の除去が困難な場合や、個別サンプルごとの精度が重視される場面で有力です。
実務での内部標準法と標準添加法の使い分け
マトリクス効果に対する内部標準法と標準添加法は、いずれも有効な補正手法ですが、用途や運用性には違いがあります。
内部標準法の適用シーン
・多検体の大量処理が必要な臨床・薬物動態、食品・環境試料の各種スクリーニング
・標準物質として安定同位体ラベル化合物が入手可能
・routineでの自動化や省力化が重視される場合
標準添加法の適用シーン
・安定同位体標準がない新規化合物や微量成分、標準品の高コストや難入手の場合
・特殊なマトリクスでの1検体ごとの高精度定量
・未知マトリクス(新規食品・医薬品・製品等)でのイオン化効率が不明の場合
現場では、内部標準法で補正したうえでさらに標準添加法による最終確認を行うケースもあります。
複数のサンプルや目的に応じ、柔軟な運用が重要です。
LC-MS/MSマトリクス効果対策の最適実施フロー
効果的なマトリクス効果対策のためには、次のようなフローで整備・実践することが推奨されます。
1. 前処理条件やクロマト分離条件の設計・評価(マトリクス除去の最大化)
2. 現実サンプルにおけるマトリクス効果(抑制・増強)の定量的評価
3. 安定同位体内部標準物質の導入可否検討
4. 標準添加法の適用可能性の判断(コスト・運用性含む)
5. 各サンプルでのQCサンプル・スパイク回収率のモニタリング
6. 必要に応じて内部標準+標準添加の二重確認
この一連の流れを踏むことで、信頼性の高い定量分析が実現できます。
まとめと今後の展望
LC-MS/MSにおけるマトリクス効果は、サンプル中の共存成分によるイオン化効率変動が主因で、高感度・高精度分析の妨げとなります。
安定同位体内部標準法は、最も確実かつ一般的なマトリクス効果補正策であり、内外の規格やガイドラインでも積極的活用が推奨されています。
一方、標準添加法もサンプルごとにマトリクス影響を捉えて正確な定量が可能な手法として重要です。
今後は、これらの手法を有効に組み合わせることによるLC-MS/MS分析品質向上がますます求められるでしょう。
また、マトリクス効果を予測・自動補正するAIやソフトウェアの進展、前処理技術の発展、安定同位体内部標準のさらなる充実も期待されます。
総じて、正しいマトリクス効果対策はLC-MS/MS分析者にとって極めて重要なスキルであり、継続的な知識・技術アップデートが不可欠です。