投稿日:2025年7月10日

乗り心地評価指標を活用した自動車シート開発実践ハンドブック

はじめに:自動車シート開発における乗り心地評価指標の重要性

自動車産業は長年にわたり革新を続けてきましたが、「乗り心地」という感性評価にもとづく分野は、その領域の中でも最も奥深いテーマのひとつです。

クルマの性能といえばエンジン出力や燃費、安全性などが注目されがちですが、実際にユーザーが毎日体感するのは「シートの座り心地」「走行時の振動や姿勢保持」といった乗り心地の部分です。

この乗り心地を客観的に測定し、製品開発にフィードバックするのが「乗り心地評価指標」です。

昭和時代から令和の今に至るまで、現場には感覚頼りの評価が根強く残っている一方で、大手メーカーではグローバル競争や高付加価値化の流れの中、定量的な評価・設計が強く求められるようになりました。

この記事では、現場の成功・失敗事例を交えつつ、調達購買・開発・生産管理という多角的な観点から、乗り心地評価指標を活用した現実的なシート開発の実践ノウハウをご紹介します。

乗り心地評価指標とは?-曖昧な“快適”を数値化する

定性的評価と定量的評価の違いを理解する

まず押さえておきたいのは、「乗り心地」とは人によって評価が分かれる主観的な体感です。

昭和の製造現場やサプライヤー間では、ベテラン職人や上司の「これがいい」という暗黙知や経験知が強力にものを言い、仕様書にも“お客様が快適と感じること”としか書かれていない、ということがしばしばありました。

しかし、現代の厳しい市場環境では「誰が乗ってもある程度満足する乗り心地」「数値でOK/NGが判断できる品質要求」が不可欠です。

ここで鍵となるのが「定量的な評価指標」です。

たとえば以下のような項目が実務で使われています。

・加振台による加速度応答(x,y,z方向、特に上下振動)
・着座圧分布(シートと着座者のお尻・太ももの圧力分布)
・動的姿勢保持性能(コーナリング時の身体保持力)
・体圧分布変化による長時間座り疲労解析
・主観評価値(VAS: Visual Analog Scaleなど)との相関

これらの指標を導入することで、納入仕様書の基準づくり、QC工程表での測定、受入/出荷判定が格段に明瞭になります。

現場で起こりがちな評価指標の形骸化

一方で、評価指標自体が“お題目”になっているケースも少なくありません。

使われていない測定機、数値基準の形骸化、現場作業員への周知不足、などが引き起こす「誰も本当には指標の意味を理解していない」という状況。

これを乗り越えるには、現場目線で「なぜこの指標が現行車に必要なのか」「どの部分の不具合やクレームを予防するのか」を社内外で繰り返しすり合わせる地道さが求められます。

特にサプライヤー側は、「バイヤーの本音」を把握し、単に数値を満たすことに執着するのでなく、「どんな市場クレームや機能トラブルに発展するリスクがあるのか」まで深く洞察することが重要です。

乗り心地評価指標を活用した実践的な開発プロセス

1. 企画段階での評価指標設定と調達要件化

自動車シート開発では、まず市場調査やユーザーアンケートを通じて「どんな乗り心地が求められているか」を定めます。

たとえば「欧州向けでは路面入力が大きく硬めだが、腰部サポート必須」「日本市場では柔らかさと振動の少なさ重視」「高級SUV向けは長時間でも疲れにくい設計」が挙げられます。

この意図を踏まえて、加速度応答や体圧分布、コーナリング時の保持力などの測定条件・目標値を具体的に設定し、開発仕様書やRFQ(見積依頼書)に明記します。

現場で発生しがちなのは、バイヤーとサプライヤーの間で指標の定義や測定条件が食い違うことです。

測定機の型式違いや部屋の温湿度、着座ダミーの体重差など、些細な違いが大きな認識ズレにつながります。

調達部門は「実験条件・測定方法を詳細に詰めて合意書化する」「境界条件・例外の取り決めも折込む」といった事前準備を徹底することが肝心です。

2. 設計・試作段階における指標活用のコツ

設計段階では、「評価指標にクリアした上で、他の重要要件を満足できるか」が最大の焦点です。

たとえば体圧分布改善のためにシートウレタンを柔らかくすると、逆に動的保持力が落ちてしまう(とっさのブレーキやコーナリング時に身体が滑る)という“トレードオフ”が現場設計者を悩ませます。

ここで有効なのがラテラルシンキング。

従来は「材料硬度をどう調整するか」「バネレートを高めるか」など点での発想が中心でしたが、外部の材料メーカーやシミュレーション技術と連携して、「新たな三次元メッシュ素材を組み合わせる」「熱可塑性樹脂骨格を局所配置する」といった斬新な設計案が生まれてきます。

また、試作段階では生産ラインを想定した品質ばらつきテスト(統計的工程管理)を実施し、「指標が設計値には収まるものの製造誤差で逸脱しないか」を実地検証します。

ここにもアナログ文化に根付いた人手検査の壁が立ちはだかりますが、現場に「なぜこの検査が必要か」「どんなNG例が過去に起きたか」を説明し続ける現場型リーダーの存在が、真の品質担保につながります。

3. 生産移管・量産立上げ段階での指標運用

量産に入ると、「サンプル通りの乗り心地を何千台・何万台でも保証できるか」が問われます。

ここで頻発するのが、「本社評価室でOKとなったのに、海外工場や新規委託生産拠点で品質バラツキが急増した」といった問題です。

主な原因は、評価機器の標準化・操作手順の現場定着の遅れ、また「現場作業員が数値目標の意味を本気で理解しきれていない」という現実。

多くの企業で現場教育に動画マニュアルやリモートQAを取り入れるなど試みられていますが、一方で「現場監督が毎日現物評価し、変化兆候を即座に本社へフィードバックする」という昭和流の“属人的な勘”もまだまだ有効な場面は残っています。

極論すると、「自動化や標準化」だけに頼り切って現場の創意・気づきを殺してしまうことこそが最大のリスクといえるでしょう。

サプライヤー×バイヤー 両視点での指標活用と交渉術

バイヤー(調達部門)の本音と建前を理解する

バイヤー・調達の視点に立つと、「納入品の品質変動リスクを最小化したい」という点が最優先です。

その結果、時に「本来感性で測るべき部分も、数値基準に落とし込んでサプライヤーに強要する」ことが発生します。

しかし実際のところ、「市場で突発的に発生する苦情や不具合」の芽は、数値基準を完璧にしても摘み切れるものではありません。

バイヤーが現場サイドの創意工夫を尊重し、指標未満の部分についても「気づき」や「現実目線の注意点」を対話を通じて拾い上げることが重要です。

現場サプライヤーが「数字に現れにくいリスク」「過去の不具合実績」「職人の勘」といったアナログ情報も含めて積極的にシェアする姿勢こそ、両者の信頼関係と製品品質の底上げにつながります。

サプライヤー側の現場視点での工夫と交渉

サプライヤーが納入先のバイヤーや設計担当と信頼関係を築くには、「単に数値基準を満たす」以上の付加価値提供が求められます。

有効なアプローチの一つは、「現場で発生した指標逸脱やクレーム事例を、次の製品・工程・現場改善に応用し、定期的に顧客へ提案報告」
することです。

たとえば、「シート加振試験で季節ごとにばらつくデータは、ウレタン混練精度や保管温度による影響が大きい」ことを実証データとともに示し、
「工場内の温度管理体制強化と連動した品質安定化シナリオ」を顧客側へロジカルに提案する。

こうした「納品前からアフターまでを見据えた指標活用能力」が、激烈なコスト競争下でも長期取引や上流工程への巻き込みへの道を切り開きます。

おわりに:乗り心地評価指標を活用するための組織文化と人づくり

乗り心地評価指標は、単なる製品評価のツールとしてだけでなく、現場と開発、サプライヤーとバイヤーをつなぐ“共通言語”です。

活用の真髄は、指標それ自体の厳格さと、現場の暗黙知・職人知を両立させる「ラテラルな連携力」にあります。

昭和から令和へ続く日本の製造業の課題は、定量的思考と現場創意の両輪をバランスよく回すこと。

この記事をお読みの皆さんが、現場の実感と多様な指標を自在に操り、より魅力的で、新しく、安心できる自動車シートを生み出すための一助となれば幸いです。

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