投稿日:2025年8月25日

国際仲裁条項を欠いた契約で係争が長期化したトラブル事例

はじめに

国際取引が盛んになる現代、製造業の現場でも海外サプライヤーや顧客との契約が日常となっています。
しかし、その契約内容の中には、国境を越えたビジネス特有のリスクが潜んでいることをご存知でしょうか。
今回は、特に「国際仲裁条項」の重要性に焦点を当て、これが抜けていたことで実際に発生した長期係争のトラブル事例を、現場目線で詳しく解説します。
製造業に従事される方、将来バイヤーを目指す方、あるいはサプライヤーの立場で取引先の意図を知りたい方に向け、実践的かつ業界ならではの観点からお届けします。

なぜ国際仲裁条項が重要なのか

国際仲裁条項は、契約当事者間に何らかの紛争が発生した際、裁判所ではなく第三者機関(例:シンガポール国際仲裁センター、ロンドン国際仲裁裁判所など)のルールに従い紛争を解決することを目的とした条項です。

では、なぜこの条項が重要視されるのでしょうか。

国内裁判との違い

もし仲裁条項がない場合、紛争が発生した時は基本的に各国の裁判所で争うことになります。
この場合、どちらの国の法律を用いるか、どの国で訴訟を起こすかが大きな争点となります。
この法域の違いこそ、問題を複雑化させ係争を長期化させる主な要因となっています。

業界特有のアナログな体質と仲裁条項の欠如

多くの製造業、特に昭和時代から続く日本の工場では、契約書の整備や英文契約のノウハウが充分でないまま海外進出を果たしている事例も散見されます。
また、「取引先との信頼関係」を過度に重視するあまり、具体的な紛争解決の流れを規定しないケースも少なくありません。
こうした背景から、今なお仲裁条項が契約から漏れている場面が目立っています。

実際に起こった長期係争トラブル事例

ある日系メーカーと東南アジア大手サプライヤーとの取引

筆者が知る限り、1990年代から日系中堅メーカーA社が、ある東南アジアの大手サプライヤーB社とOEM契約を締結しました。
初期は代理店経由での注文が主流だったため、取り決めも「注文書ベース」の簡易なもの。
その後、両者の取引額が増加し、直接契約・直接発注へとスキームが変わりますが、契約書のアップデートは追いつかず、英語による「覚え書き」に留まってしまいます。
この覚え書きには品質保証や納期、代金支払については詳述されていたものの、万一のトラブル時の紛争解決手段については、「当事者同士で誠実に協議する」という、極めて抽象的な文言のみでした。

品質トラブル発生、対応の食い違い

5年後、A社への納品製品の一部に重大な不良が判明します。
A社は数千万規模の損失を被り、「全量返品・補償金の支払い」を要求しました。
一方、B社は「不良の原因は原材料ロットの問題と自然要因であり、補償はできない」と主張します。

この時点で、契約書に「国際仲裁(例:シンガポール仲裁所)に従う」といった明記があれば、第三者機関が迅速に介入し、証拠の保存・証言の採取・技術的な専門家の鑑定…とスムーズにプロセスが進行します。
ところが双方の契約には明記がないため、当初はメールや公式文書のやり取りで何度も協議を重ねましたが、半年が経過しても結論は出ません。

ついに両者が裁判に持ち込む

A社は日本の裁判所に訴訟を提起しようとしましたが、B社はそれに応じず、本国の法律事務所を通じて逆に相手国での訴訟を提案。
どの国で裁判を起こすか、どちらの法域が適用されるかで、法的手続きだけで1年以上争われました。
最終的には両国の当局者が交渉に入り、ようやく仲裁機関による折衷的な調停に至りましたが、係争は実に3年近くにわたり、A社は損失回収どころか取引停止中の逸失利益も発生したのです。

長期係争がもたらす日本的経営文化へのインパクト

現場の士気と機会損失

このような長期係争は、経営層だけでなく、現場にも大きな影響を及ぼします。
部品が調達できず生産ラインが止まり、納期遅延が発生。
従業員から「またアジア案件でトラブルか」「外注先の選定基準が甘い」といった批判も出てきます。
さらに、係争中の間に新たな引き合いや新規開発案件のタイミングを逸し、会社としての成長チャンスまで失う事例も決して珍しくありません。

組織内コミュニケーションの齟齬

日本の製造業は年功序列型で、権限分掌がはっきりしているため、「契約は法務」「調達は発注」「現場は現場」と役割分担が固定化されています。
仲裁条項を抜かすことで法務部門の責任が問われ、調達担当者は現場からの圧力にさらされ、現場は情報の分断で真相を掴めないまま疑心暗鬼が蔓延する―。
「形式的な契約書でOK」という昭和的な感覚が、こうした負のスパイラルを招いてしまうのです。

サプライヤーの不信感と撤退リスク

B社のような海外サプライヤーから見れば、「日本企業は不確定要素が多い」「何かあった時に国際的に公平なルールを用意していない」と映ります。
結果的に日本企業との長期取引に躊躇し、「先進欧米企業や新興国バイヤーとの取引を優先」といった流れが加速しかねません。

業界に根強く残る「昭和アナログ感覚」を打破するために

日本の製造業、特に老舗企業ほど、「口約束」「慣例重視」「形式だけの契約書」が根付いています。
これは悪いことではありませんが、グローバルビジネスにおいては致命的なリスク要因になることを、現場も認識すべきです。

実践的な対策—現場から変える契約の在り方

1. 調達・購買部門主導で契約雛形の見直し
2. 国際仲裁条項を必須化し、先方にも説明可能にしておく
3. 法務部門と現場の連携を強化し、現場実務の声を契約に反映
4. 海外サプライヤーとは最初の打ち合わせで「もしトラブルがあったら、どう解決したいか」議論する慣行を推奨
5. 小さなトラブルの段階から、エスカレーション先(仲裁機関含む)をあらかじめ共有

これらはいずれも明日から実務で実行可能な具体策です。
ポイントは、「契約内容=現場の“保険”」と認識し、その定期点検を怠らないことです。

バイヤーを目指す方・サプライヤーが考えておくべきこと

バイヤー志望者は、こうした実例から契約条項の重みとリスクの広がりを理解しておくことが不可欠です。
また、サプライヤーの立場からは、「日本企業はなぜ仲裁条項を重視しないのか」「自社が不利にならないための国際標準とは何か」を学び、必要に応じて提案・交渉できるようになりましょう。
この“相手の論理”を知る姿勢が、新時代の調達・生産管理スキルとしてますます重要になっています。

まとめ:産業の成長には「契約のアップデート」が必須

国際仲裁条項を欠いた契約で係争が長期化した事例は、決して他人事ではありません。
グローバル化の波とともに、“昭和的アナログ思考”から進化し、「契約書=リスクコントロールの生命線」と捉える新しい現場感覚が求められています。
現場・購買・法務部門が一体となった取り組みを通じ、より強固な産業競争力を目指しましょう。

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