投稿日:2025年7月20日

ヒトの触覚認識メカニズムと触覚に着目した製品開発の具体的事例

はじめに ― 「触覚」の持つ力に再注目する理由

ヒトが物を掴み、感じ取り、選択し、使いこなす上で欠かせないのが「触覚」です。
視覚や聴覚と比べると、触覚はどこか軽視されがちな感覚ですが、実際のものづくり現場では、繊細な質感や適度な滑り、温かみといった「触れた感覚」が製品の品質や価値を大きく左右します。
特に昭和から続くアナログ体質が根強い製造業の現場では、「手で触って分かる信頼性」が今なお重視される場面が多く残っています。

この30年でデジタル技術は飛躍的に進化しましたが、一方で「手触り」の作り込み、「触れた時のリアルな安心感」などは、経験を積んだ職人の勘やノウハウによって守られてきました。
しかし、AIやロボットの自動化が進む現代、それらを本質的に支えるヒトの触覚認識メカニズムを再確認し、触覚を活用した新たな製品開発の潮流を理解することは、今こそ非常に重要なのです。
今回は、「ヒトの触覚とは何か」、そして近年、触覚をテーマに実現されてきた革新的な製品開発の事例について、現場目線に根ざしつつ深く掘り下げていきます。

ヒトはどのようにして「触覚」を感じ取っているのか

触覚のメカニズム―五感の中でも複雑な感覚系統

触覚とは、「皮膚や筋肉・関節などの“感覚器”が、外部からの物理的刺激(圧力、振動、摩擦、温度など)を受け取り、その情報を神経を通じて脳へ伝達し、最終的に認知される感覚」のことを指します。

皮膚の表面や深部には多種多様な「メカノレセプター(機械刺激受容器)」が埋め込まれています。
それぞれ役割があり、例えば以下のようなものが挙げられます。

– メルケル細胞:圧力や形状など定常的な刺激の検出
– マイスナー小体:微細な振動やすべり感の検知
– パチニ小体:高周波の急激な振動の感知
– ルフィニ小体:皮膚の伸展や持続的な圧力を受ける

このほか、温冷受容器、痛覚受容器なども加わり、多層的なセンサー網として私たちの体表をくまなくカバーしています。
これらからの情報は、脊髄を通って脳へ伝えられ、無意識下の反射行動から、意識的な質感の判別、快・不快の情動判断へと昇華されていきます。

現場体験に基づく「触覚」への信頼

筆者が工場現場で経験したエピソードの一つに、金属加工の仕上がり検査があります。
測定機で寸法や粗さは正確に測れるのですが、最終的な品質の合否判定に「職人の指でなぞって感じるツルツル・ザラザラ具合」が採用される場面が珍しくありませんでした。
これは、ヒトの触覚が単純な物理量ではなく、「適度な摩擦」「しっとり感」「冷たさ」といった複合的な情報を同時に捉えられる高度なセンシング能力に裏打ちされているからです。

また、組み立てラインでは、「カチッ」「コトッ」と感じる微細な手応えが、ねじ締めや嵌合の正確性、異物混入の有無、不良品の早期発見などに繋がってきました。
この「触感による差異の気付き」は、未だ自動化やAIでは完全に代替できていない分野です。

触覚に着目した製品開発の最新動向と事例

人間の触覚から学ぶ―高機能触覚センサーの開発

近年、多くのメーカーやベンチャーが「ヒトの指」に迫ろうとする高機能触覚センサーの開発に挑戦しています。
一例を挙げると、圧力・振動・滑り・湿度などに同時応答する多層構造フィルム型センサーがあり、ロボットハンドや協働ロボットに搭載されることで、人とロボの共同作業の安全性や柔軟性が飛躍的に高まりました。

トヨタ自動車では人型ロボット「T-HR3」へ高感度触覚センサーを実装し、人間と同じ繊細な“物の掴み方”が再現可能になっています。
従来は破損しやすかった壊れやすい部品や柔らかい素材も、「触覚」を加味したロボットが適切に把持し、工程ミス軽減や生産性向上を実現させています。

また、精密機器メーカーでは、「微小な異物混入」を検査工程で検出するためのAI+触覚センサー技術を導入し、ラインの自動化率を向上させるとともに、人の感覚では難しいミクロレベルの異常まで抽出できるようになりました。
ここで重要なのは、熟練作業者の触感データをAIの学習素材として活用する“現場主導型デジタル化”が進み始めている点です。

日常製品にも革命…触覚体験が生む新たな価値

産業分野だけでなく、日用品領域でも触覚を重視した商品開発が盛んです。
たとえば文房具業界では、あえて「すべり加減」や「ややざらつき感」を再現したボールペンやシャープペンシルの軸表面が開発されています。
この“しっとり手になじむ感触”は、長時間の作業でも疲れにくく、書き心地の良さという付加価値として高く評価されています。
また家電製品のボタン、ダイヤル、スイッチなども、押した瞬間の「カチッ」という手応え設計を徹底し、心理的な心地よさや安全確認のために触覚情報を巧みに盛り込んでいます。

アパレル・ユニフォーム業界でも、軽量化や吸汗の機能は当然ですが、「肌ざわり」「着た瞬間の冷感・温感」「柔らかくフィットする伸縮性」など、触れた際の快適な感覚を科学的に評価し、データ化する動きが加速しています。
これは、従来属人的で曖昧になりがちだった“触感”を、顧客体験や製品アピールのコア要素として再定義している象徴的な事例でしょう。

バイヤー/サプライヤー視点で見る触覚価値の提案

現場でよくある悩みが「同じ材質、同じ工程を経ているのに、なぜか一部製品の“手触り”が違う」という現象です。
この課題に対処するため、サプライヤー企業は人間工学や触覚評価ツール(摩擦係数試験機や表面粗さ測定機など)を組み合わせた客観的な触覚測定体制を構築し、自社製品の触感を“数値+言語化”でプレゼンできるようになり始めました。
また、調達部門(バイヤー)もカタログスペックや価格以外に、「現場作業者の手応え」「最終ユーザーの使い心地」を重視した評価観点を取り入れることで、結果的にブランド価値や顧客満足度アップを実現しています。

たとえば自動車内装材の選定において、「同価格帯でも滑りすぎず、汗ばんでもベトつかない表皮」「冬季の初期触感が冷たすぎない」など、きめ細かい触覚情報の確認が“採用ポイント”へ直結することが増えています。
今後はサプライヤーとバイヤーが「触覚評価の共通指標」を持ち合い、デザイン、機能、コストだけでなく「触感=使い勝手・安全性」までトータルで提案・協議する姿勢が標準化してゆくと予想されます。

今後の製造業が進むべき“触覚革命”の道筋

アナログとデジタルの架け橋に触覚がある

これまで製造業の現場は、職人の手感覚を基点としたアナログ的ものづくりが支えてきました。
その一方、IoT、AI、ロボティクスなどのデジタル潮流が加速する現在、ヒト独自の触覚認識メカニズムを数値化し、デジタル技術と連動する「触覚DX」が大きな変革の柱となりつつあります。

現実にはまだ完全な自動化やAIによる触覚再現は実現していませんが、従来の「熟練者だけが持つ感覚」を現場データとして蓄積し、AIやロボットに学習させて品質安定化に役立てたり、異常を早期検知するためのトリガーとして活用したりする企業は確実に増えてきています。

「最終工程のOK/NG判定はベテランの手触りチェック」という課題に対しても、今後は「ヒトと機械の協働による触感データベース化」「人間工学に基づいた評価軸の策定」「リモート品質保証(遠隔地でもリアルな触感共有)」といった新たな取り組みが現場を大きく進化させていくでしょう。

バイヤー・サプライヤーへの具体的アドバイス

普段、製品調達や設計・品質管理に携わる皆さんには、「触覚」が単なる追加要素ではなく、これからの製造業の競争力強化のキー・ファクターになる視点を持つことを強くお勧めします。

サプライヤーは、自社製品が提供できる触覚体験の「見える化」「言語化」「数値化」を積極的に行い、調達担当者や現場担当者との会話の“共通言語”として活用しましょう。
一方、バイヤーは現場の最終ユーザーや作業者の“手応えフィードバック”を製品選定の評価項目に加え、見た目やコストだけでは伝わりにくい価値を的確に評価・交渉材料として生かすと良いでしょう。

まとめ ― ヒトの触覚は“次のものづくり”の源泉

技術力が世界に誇る日本の製造業──。
その根底には、ヒトが育んできた「触る」「感じる」「確かめる」という触覚の力があります。
触覚認識メカニズムへの理解を深め、その知見を先進的な製品開発や現場の改善に応用していくことが、アナログからデジタル、そして“人間中心”の新時代へと踏み出す第一歩です。

昭和から続く現場の知恵と、現代のテクノロジーをつなぐ「触覚」というキーワード。
皆さまの現場や調達・開発の現場にも、ぜひ“ヒトの手の感性”を最大化する視点を取り入れてみてください。
必ずや、これまで見過ごしていた新しい可能性と価値創造の地平が開けてくるはずです。

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