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デジタルツインで現場の暗黙知が抜け落ちるリスク

目次
はじめに:デジタルツインがもたらすものと現場知
デジタルツインという言葉が、製造業の現場でも急速に浸透しています。
工場内の設備や生産ライン、製品そのものをデジタル空間上に精密に再現し、様々なシミュレーションや予測が可能になるテクノロジーです。
生産効率の向上、品質管理の徹底、省人化・自動化――こうした製造業のペインポイントの解決策として、経営層やIT部門のみならず、現場レベルでも導入の波が押し寄せています。
しかし、そのデジタルツインの発展の裏側で、一つの大きな懸念が潜んでいます。
それは「現場の暗黙知」が抜け落ちてしまうリスクです。
長年現場に身を置いてきた私自身、工場の現場を知り抜いた立場から、この課題について深く掘り下げたいと思います。
デジタルツインが描く理想の工場と実際の現場ギャップ
デジタルツインで目指すべきものは何か
デジタルツインは、工場のバーチャルなミラーワールドを作り出します。
これによって、製造ラインでのボトルネックの自動解析、異常の即時検知、設備保全の最適化、さらには原価シミュレーションやCO2排出量の管理も精緻に行えるようになります。
経営効率が飛躍的に向上し、ミス・ロスを大幅に低減できることが期待されています。
経営側から見れば、勘や経験だけに頼らない“データに基づく現場運営”ができるようになったことは、大きな前進です。
実際、グローバルで競争力を維持するため、先進的なサプライヤーはデジタルツインの導入を急いでいます。
現場の「勘」と「経験」――暗黙知の正体
一方、製造現場には、ベテラン従業員が日々積み上げてきたノウハウや、五感を通じて感じ取る“ここだけの知恵”が息づいています。
例えば、「今日の湿度なら冷却時間を数秒だけずらした方が良い」「この原料ロットはいつもより粒度が粗いので投入方法を変えよう」といった即時的な対応や、「機械の音や振動に違和感があるから、点検してみる」といった直観的な判断です。
これらは、教科書にもマニュアルにも記載されていない“暗黙知”であり、現場を支える大きな力です。
この暗黙知を正確に数値化したり、AIに学習させたりすることは、実は難易度が高いのです。
なぜ暗黙知がデジタルツインで抜け落ちるのか
データ化の限界とセンサーネットワークの死角
デジタルツインは、各種センサーで得られるデータ、設計データ、稼働履歴、生産実績など膨大なデータの集積・解析によって成立します。
しかし、そもそもセンサーで取得できるものは、あくまでも「測れること」に限定されます。
例えば、製品の表面の微細なざらつきや、熟練工が感じる“鉄の焼けた独特の匂い”、トルクレンチの微妙な手応えの違いなど、現場では日常的に重要視されている感覚情報は、今も多くがデータ化できません。
また、複雑な生産工程の中で“なんとなく”発生するアクシデントの兆候も、センサーやカメラだけでは100%把握しきれません。
こうした「現場の勘所」は、人間の脳と五感、過去の経験の総合から瞬時的に導かれるものであり、デジタルツインによるデータ主義では見落とされやすくなるのです。
「標準化」という名の無力化リスク
デジタルツインの導入は、生産現場の標準化・プロセスの均質化を促進します。
もちろん基本的には望ましいことですが、一方で現場では「標準作業」はあくまでも基準であり、その場・その時々で微調整が不可避です。
「この装置は冬場に軸受けが冷えすぎるため、数分余計に温める」「パートナー企業からの原材料はロールごとに特徴が違うので、現場で都度調整する」など、現場担当者による柔軟な“さじ加減”が多々求められます。
これを一律のマニュアルや数値で型にはめすぎると、現場力の低下や、不具合の潜在化を招く恐れがあるのです。
バイヤー、サプライヤー双方に広がる影響
バイヤー起点で見るデジタルツインの功罪
調達購買担当、バイヤーの立場に立つと、デジタルツインから得られるリアルタイムなデータや、生産ロジックの可視化は大きなメリットです。
ベンダー評価や納期・品質管理の精緻化、原価低減シミュレーションが可能となり、サプライチェーン全体の効率化が期待できます。
一方、万が一デジタルツインのシナリオから外れた“イレギュラー”が発生したとき、その原因究明や再発防止に「現場の暗黙知」が不可欠になる場面があります。
バイヤーとしては、デジタルだけを盲信せず、サプライヤーとの現場密着型のコミュニケーションも並行して継続していく必要があるのです。
サプライヤー視点での不安と付加価値のヒント
デジタルツイン中心のものづくりに移行すると、サプライヤーは「数値で評価されやすい」分、独自性や現場の“差配”が目につきにくくなります。
他社との価格競争が激化しやすい環境です。
しかし、他方で「自社の職人技」「人にしかできない微調整」が逆に選ばれる理由へと転換できるチャンスもあります。
例えば、徹底的な標準化が進む中で「うちはこの工程のこの微調整は、AIよりベテランの勘で攻める」といった現場力をアピールし、差別化やブランド化につなげていくことができます。
また「現場の暗黙知を積極的に見える化・取り込む」努力自体が、デジタル時代の新たな強みになるのです。
現場の暗黙知が抜け落ちるリスクをどう防ぐか
現場主導のデジタルツイン設計が不可欠
デジタル推進は経営判断で加速するものですが、その設計・運用段階においては“現場の声”を徹底的に拾い上げることが極めて重要です。
たとえば「本当にセンサーでカバーできない工程はどこか」「現場で見過ごしがちな異常徴候は何か」など、ベテラン作業者を巻き込むワークショップやラウンドテーブルが有効です。
また、暗黙知を形式知化(文章や動画、音声などで記録)し、デジタルツインに都度反映していく取り組みも重要になります。
現場経験者による“教訓の蓄積”を活かし、「現場カンファレンス」や「気づき申告」制度などをデジタルプラットフォーム上で展開するとよいでしょう。
アナログ工程の重要性と再評価
いくらデジタルが普及しても、製造の根底には“手作業でしか伝わらない世界”が存在します。
すべてを数値化せず、逆に「ここはAIやデータではカバーしない」という“選択的なアナログ化”も、現場力の保持には不可欠です。
現場の“匠の知見”を定期的にドキュメント化・動画化して共有する、重要工程は現場判断を優先するルールを明示する、といった方法論は、未だ昭和的な現場文化を大事にしている日系大手企業では今後も意味を持ち続けます。
まとめ:デジタルとアナログの融合が未来を拓く
デジタルツインは、製造業の未来を切り拓く画期的なイノベーションです。
しかし、その導入が現場の暗黙知の価値を置き去りにした時、想定外のリスク(設備トラブル、品質事故、現場力の沈下)が顕在化します。
一方で、暗黙知にこだわりすぎるとグローバル競争から取り残されてしまうリスクもあります。
これからの製造業に求められるのは、データやAIによって工場全体をハイスピード・高品質化する一方で、「ここ一番」が重要な工程では現場の“人間力”を最大限に活かす柔軟な組織づくりです。
バイヤーもサプライヤーも、“現場目線の知恵”と“デジタルの力”の両輪で、ものづくりの新たな地平を開拓していくこと――これが次の時代の競争力となるはずです。