投稿日:2025年11月1日

スーツの肩の落ち感を作る毛芯とパッドの組み合わせ設計

はじめに―スーツの“肩”は、製造業と同じく設計思想の結晶

スーツを語るうえで、肩のシルエットがどれほど重要かは説明不要かもしれません。
バイヤーとして生地や縫製の良し悪しを見極める方、あるいは生産現場で工程設計を担う方にとっても、肩の「落ち方」すなわち落ち感は既製スーツの価値そのものといえるポイントです。

一方で、毛芯やパッドといった内部構造の設計は、世の中にそれほど広く知られているわけではありません。
ここにはまさに昭和時代から引き継がれた“アナログの知恵”と、最新のマテリアルサイエンス、工程管理ノウハウが交差しています。
この記事では、工場の現場感覚と調達・バイヤーの視点を織り交ぜて、スーツの肩の落ち感を決める毛芯とパッドの組み合わせ設計について、実践的に掘り下げていきます。

スーツの肩構造の基本理解―なぜ毛芯とパッドが要になるのか

スーツの肩のシルエットを生み出す主な部材として「毛芯」と「パッド」があります。
表地の下に隠れるこれらの部材は、着用時のフィット感や外観を大きく左右するパーツです。

毛芯とは―“骨格”を司るキーパーツ

毛芯は、獣毛やウール、化学繊維などで作られ、表地の裏に接着または縫い付けされる“芯地”です。
職人の手縫いによるフル毛芯と、接着芯(フュージョン芯)などのバリエーションがあります。
毛芯が持つ弾性や復元力は、生地そのものの張りや立体感だけでなく、長期間にわたるスーツの“型崩れ防止”にも直結します。
また、肩から胸にかけて毛芯の厚みや形状を絶妙に変える設計により、“自然な立体感”を演出するのです。

パッドとは―“表情”を決定付ける演出家

肩パッドは、その名の通り肩部分に配置される薄いパーツで、フェルトやウレタン、スポンジなどを素材とします。
パッドの厚み・面積・硬さによって、クラシックな“いかり肩”〜現代的な“なで肩”までシルエットを自在に調整できます。
パッドひとつで、受ける印象は“威厳”から“しなやかさ”まで大きく振れます。
逆にいえば、着心地の良さや肩の動かしやすさにも直結する繊細な部材というわけです。

現場で「落ち感」を生むには―設計・製造工程の視点から

現場で長年スーツの肩設計に携わると、「良い落ち感」は“単一の要素”では成立しないことが身に沁みて分かります。
あるブランドの指定寸法通りに作ったからといって、理想的な肩の落ち感が出るわけではありません。
それはなぜなのか、実践的目線で解説します。

毛芯とパッド、その組み合わせ方による技術の妙

まず押さえたいのは、毛芯とパッドは「足し算」ではなく「掛け算」の関係にあることです。
単に厚みを増やせば良いシルエットになるわけではなく、むしろ“差し引き”と“バランス調整”が要となります。

たとえば、毛芯が硬すぎるとスーツの表情が重たくなりすぎます。
逆にパッドだけを厚くしてしまうと、不自然に肩が張り出し、着心地が損なわれます。
現場では生産技術スタッフや、裁断・縫製担当者が互いの設計意図を深く共有し、季節や生地特性によってミリ単位で調整をします。

アナログ現場で磨かれる“落ち感”調整術

ここが昭和から変わらぬアナログの知恵―
じつは、体型ごとの“クセ”や着用シーンに合わせて、少ロットで微妙な調整を行うのが日本の製造業の良さです。

特にバイヤーから「このモデルは欧米系体型に合いやすくしてほしい」「ライトウェイト志向の若年層向けにしたい」など要望がきた場合、現場のパタンナーや縫製技術者は毛芯の分量、パッド形状、肩線の角度を1着ごとに調整することもあります。
これは大量自動化工場では難しい職人の領域ともいえるでしょう。

サプライヤーとバイヤーの“リアルな駆け引き”

サプライヤー(縫製工場や下請け)とバイヤー(アパレル・小売)は、毛芯・パッドの設計でもしばしばせめぎあいをしています。
それはなぜでしょうか。

軽やかさ重視 VS 型くずれ防止―コストと性質のジレンマ

昨今のトレンドは「軽やかで肩の丸みを際立たせる」設計です。
これに応えようとパッドを薄く、毛芯も柔らかく作ると、コスト削減や着心地向上にはなりますが、型くずれやヨレが生じやすくなるデメリットも伴います。

一方、ブランドが「高級感」を出したい、多少重厚でもしっかりした肩にしたいという方針なら、適度な厚みと硬さを保持した設計が必要です。
ここで調達・購買部門の力量が発揮されます。
“どこに妥協点を設けるか”、“どこでコストをかけるか”。
この判断は、現物をミリ単位で検証し尽くしたバイヤーでないとできないのです。

工場の自動化・標準化と手仕事のあいだで

スマートファクトリー化や自動裁断機投入により、一定品質を量産しやすくなった現代。
しかし“肩の落ち感”という繊細な指標は、部分的に今も手作業が不可欠です。
日本の製造現場では、「要所は自動化、肝は手仕事」――そんな工程設計が増えています。
サプライヤーは生産効率と“伝統的ノウハウ”の両立を常に意識せねばなりません。

現場目線の組み合わせ設計のポイント

では、スーツの肩の落ち感を理想に近づけるため、具体的にはどのような設計が求められるのでしょうか。
業界の最前線で磨かれてきた幾つかのポイントを挙げます。

(1)層構造ごとの素材最適化

毛芯の主素材、ポリエステル系・馬毛系など、硬さ・柔軟性の違いが大きく影響します。
パッドも芯糸の方向性(繊維の向き)が肩の丸み・剛性を左右するため、サンプル検証に頼るだけでなく、海外サプライヤーとも情報交換するのが業界常識です。

(2)縫製・加圧工程で微調整を実施

量産工程でも肩・胸のアイロンワークや毛芯縫い付けのテンション管理は、ベテラン縫製者の“肌感覚”に委ねられます。
実際に成形時、接着温度・圧力・時間で立体感が大きく変わるため、ここにライン監督者の技量が問われます。

(3)パターンと体型ターゲットを明確に

バイヤーからの企画書には必ず「どの体型を理想像とするか」が明記されているはずです。
欧米型、アジア型、若年~熟年層まで、どこに重心をおいて落ち感を設計するか決めないと、すべてが中途半端な仕上がりにつながります。

実践現場で役立つTips―伝統の継承と革新の両立へ

ここまでお伝えしてきたように、スーツの肩の落ち感を作り上げる毛芯とパッド設計こそ、昭和時代から受け継がれる“現場知”と、デジタルツールによる設計革新がコラボレーションする分野です。

ITを駆使したパターン設計自動化、AIによる生地伸度解析も進化していますが、最終的には「現場の最終行程でどれだけ“差分調整”できるか」が商品価値を左右します。
転職やキャリアスキルアップを目指すバイヤー志望の方にとっては、こうした現場のディテール理解が大きな武器になるのは間違いありません。

まとめ―製造業発の“服の未来”は肩から始まる

スーツの肩の落ち感を決める毛芯とパッドの設計は、ただの服作りを超えた「現場哲学」「設計思想」です。
現場目線での微調整や、バイヤーとサプライヤーの壮絶なせめぎあいがあるからこそ、着る人にとって“気持ち良い”スーツが生まれます。
日本のものづくり現場では、アナログ的な知恵と新素材技術、工程管理がこれからも融合していくことでしょう。

現場でちょっとだけ肩の骨格や落ち感にこだわる、その積み重ねこそが、業界全体の未来を形作っていきます。
次の世代のバイヤー、設計担当者には、ぜひ「肩」にも目を向けて、ラテラルな発想で新しいスーツ作りの地平を切り拓いてほしいと思います。

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