投稿日:2025年11月4日

製造業で働く前に理解しておきたいトレーサビリティの概念

はじめに:なぜ今「トレーサビリティ」が重要なのか?

製造業に長年従事してきた立場からお伝えしたいのは、今日の製造業では「トレーサビリティ(traceability)」の理解と実践が、企業の信頼性や競争力を左右する重要な要素になっているという現実です。

昭和の高度経済成長期、現場は“勘と経験”がものをいう世界でした。
手帳や伝票、電話連絡などのアナログな運用が業務の根本であり、それが「製造業らしさ」として美徳にもなっていました。

しかし、グローバル化やIT技術の急速な進展、そして食品や自動車などで起きた重大な品質不祥事をきっかけに、製品がどのように作られ、どんな工程や部品を経て市場に出てきたか――その“履歴”が問われる時代に突入しています。
この変化はすべてのメーカーやそのサプライヤーに、大きなパラダイムシフトを強いています。

トレーサビリティとは何か?基礎を理解する

トレーサビリティという言葉は、直訳すると「追跡可能性」という意味です。
製造現場におけるトレーサビリティとは、製品がいつ、どこで、どのように作られ、どの部品や原材料が使われ、誰がどの工程に関わったのかを追跡・記録できる仕組みを指します。

これにより、万が一不具合やリコールが発生した際に、すばやく原因を特定し、影響範囲を限定したり、正確に対策を打ったりすることができます。
また、顧客や監督官庁からの品質証明の要請にも応えられることが必須となっています。

トレーサビリティの3つの軸

1. 前方トレーサビリティ(Forward Traceability)
製品が“どこに出荷されたか”を追跡する能力です。
万が一市場に流出した不良品があった場合、その製品がどの取引先・ユーザーに納入されたかを速やかに確認できます。

2. 後方トレーサビリティ(Backward Traceability)
製品が“どんな材料・部品を使い、どこの工程を経て生まれたのか”をさかのぼって特定できる能力です。
部品や原材料メーカーで問題が発覚した場合、自社のどの製品に使用されたか、いつのロットかまでを把握できます。

3. 内部トレーサビリティ
工場内での工程間移動や検査、修理・再加工など、社内の“流れ”を追う能力です。
誰が、いつ、どの機械で加工したかを記録することで、工程改善や不良品発生時の対応に役立ちます。

昭和の現場文化とトレーサビリティ:どう付き合う?

多くの日本のメーカー、とくに中堅・中小企業の現場では、未だに紙の伝票やExcel管理、ホワイトボードでの手書き、口頭の「申し送り」などが根強く残っています。
私自身も、現場管理者時代にこうした運用に頼った経験があります。

しかしその一方で、「記録を取り直すのに多大な手間がかかる」「誰がどんな材料を使ったか曖昧」「属人的でナレッジが継承されづらい」など、さまざまな課題を痛感してきました。

デジタル化や自動化が急速に進む今、アナログ的な現場文化が持つ良さを活かしながら、少しずつトレーサビリティのデジタル基盤の構築に着手していくことが、現場目線で現実的なアプローチだと考えています。

現場でよくある「あるある」な問題

例えば、同じ材料ロットから複数生産ラインに山分けする場合、どのラインのどの号機で使われたか、伝票の手書き部分がかすれていて読めないことがしばしばあります。

また、現物がなくなった後で伝票を探し出しても、そもそも記録が抜けていたり、“いつものあの人がやった”という曖昧な記録に頼る羽目になることもあります。

現場で働く方なら一度はヒヤリとしたことがあると思います。
こうした“アナログの穴”が、万が一のときのリスクにつながるのです。

なぜトレーサビリティがバイヤー・サプライヤー双方に必要か?

製造バリューチェーンは、メーカー単独では完結しません。
部品・素材の調達から生産、出荷、納品まで、多数の取引先(サプライヤー)・購買担当者(バイヤー)が関わっています。

大手企業がサプライヤーを選定する際にも「このメーカーはトレーサビリティ体制があるか」というチェックリストが重要性を増しています。
品質マネジメントシステム(ISO9001など)や、自動車業界特有のIATF16949でも、トレーサビリティは本質的な要求事項です。

協力会社として位置付けられるサプライヤーが高いトレーサビリティ体制を構築できていなければ、ビジネス機会を逃すだけでなく、商流から外されるリスクもあります。

サプライヤー視点でバイヤーが知りたいこと

バイヤーは「不良発生時、問題の範囲をすばやく特定してもらえるか」「原因特定力は十分か」という点を重視しています。

同時に、過剰・過小在庫リスクの低減、計画生産や納期厳守といった購買実務にもダイレクトに影響するため「トレーサビリティの見える化」は、サプライヤーの評価ポイントでもあります。

実践的なトレーサビリティの第一歩:現場で始めるコツ

「うちは小規模だから難しい」と感じている方も多いでしょう。
しかし、いきなり膨大なIT投資をせずとも、今日からでも現場で始められる実践的な第一歩があります。

手書き伝票の徹底記入

現場における“転記ミス”や“記録漏れ”を防ぐため、伝票記入ルールや管理責任者を明確化するだけでも、履歴の精度が向上します。
記録内容をシンプルに標準化しましょう。

ロット管理・シリアル管理の見直し

原材料や部品ごとにロット番号、シリアル番号の割り当てを再整理し、受け入れから出荷まで“物と情報”がひもづく運用を現場リーダーが定期的にレビューすることです。

工程・検査記録の共有化

ホワイトボードや掲示板による工程ごとの作業進捗、検査結果の掲示を徹底し、「誰がどの製品に関わったか」をいつでも確認できる体制を作ります。
作業者のサイン入りチェックリストは最も簡易的かつ有効です。

デジタル化は段階的に

バーコードリーダーやQRコード印刷、Excelマクロによる簡易な工程追跡ツールなど、既存の仕組みに“プラスアルファ”から着手するのがコツです。
周囲の現場リーダーやIT部門、品質管理担当と「小さな改善」を積み重ねましょう。

トレーサビリティを会社が“武器”にするために

企業としての信頼を獲得し、さらには高付加価値製品の開発や海外展開も視野に入れるなら、「トレーサビリティの徹底」は避けて通れないテーマです。

現場文化とテクノロジーの融合によって、「品質不安ゼロ企業」「お客様に安心感を提供するメーカー」として、社外に大きなアピールができる時代です。

また、トレーサビリティ体制を整備することで、万が一問題が起きても、迅速な原因追及と対策を実現し、信頼喪失や大規模なリコールリスクを最低限に抑えることができます。

まとめ:未来の製造業、まず一歩を踏み出そう

現場から経営層まで、トレーサビリティの理解と取り組みは、もはや“時代の要請”です。
過去のやり方や文化も大切にしつつ、新しい時代にふさわしい運用の在り方を模索していきましょう。

これから製造業で働く方、バイヤーやサプライヤーの立場で“商流の真ん中”に立つ方々も、まずは「自分の現場でどこから始められるのか?」を意識した小さな改善から一歩を踏み出してみましょう。

それが、会社の、ひいては日本の製造業の“底力”を何倍にも高める道筋になります。

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