脳科学の基礎と製品開発への応用

脳科学の基礎知識：製造業でなぜ重要なのか

脳科学と聞くと、医療や教育の分野が思い浮かぶ方が多いかもしれません。
しかし、近年、製造業においても脳科学への関心が急速に高まっています。
これは、“人”という不確定要素をいかに理解し、活用するかが、製造業の競争力強化に直結しているからです。

例えば、現場作業者の動作最適化や、設計開発のクリエイティビティ向上、安全管理、品質検証など、多くの製品・プロセス改善の取り組みで脳の特性を理解することが成果につながります。
製造業の現場は昭和時代からの“勘と経験”や“職人技”に根差していますが、これらも本質的には人の脳の働きと密接に関係しています。
つまり、伝統的なものづくりと最先端の脳科学は決して無関係ではありません。

脳の基本構造と働きからひもとくものづくり

脳の構造：本能と理性が交錯する現場

人の脳は大きく3つの層に分けて考えることができます。
原始的な「脳幹」、感情や記憶を司る「大脳辺縁系」、論理的な判断をつかさどる「大脳新皮質」です。

作業現場の安全管理で起こりがちな「うっかりミス」は、大脳新皮質の集中モードが途切れ、本能的な行動が優先されることで発生します。
つまり、安全教育も脳の特性を踏まえ、「本能（脳幹）レベルで体に染み込ませる反復訓練」と「理性（新皮質）での理解」をバランスよく行うことが重要です。

記憶と学習：OJTやスキル伝承の裏側

人は新しいことを覚えるとき、「短期記憶」（ワーキングメモリ）から「長期記憶」へ情報を保存します。
ベテラン作業者の暗黙知や“手順のコツ”は、反復と経験による長期記憶の蓄積そのものです。
マニュアルが理解されにくい現場では、脳の記憶定着メカニズムに則ったOJTこそが成果を発揮します。

また、脳科学によれば、五感を同時に使う（視覚・触覚・聴覚など）ほうが学習効果が高まるというエビデンスがあります。
アナログ時代から“見て覚えろ”が重視されてきた理由も、脳の特徴に基づいているのです。

脳科学を活かす製品開発の新地平線

ユーザー視点の徹底追求

かつては「良いモノを作れば売れる」という時代でしたが、現代の顧客は“使いやすさ”や“感情的価値”を重視します。
これはまさしく脳科学で言うところの「ヒトは合理性だけで選択をしない」という脳の仕組みと合理性（System2）と直感（System1）のバランスに根ざしています。

製品開発の初期段階で、ユーザーが製品をどのように認識し、操作し、どんな感情を抱くのかを“脳科学のレンズ”で観察・分析することで、真に喜ばれる商品設計へとつなげることができます。

例：自動車のダッシュボードや家電のインターフェース設計で「迷う」「わからない」という不満が起きる理由は、人のワーキングメモリ容量（処理できる情報量）や注意力の限界を超えている場合がほとんどです。
ユーザーテストに脳波・眼球運動解析を使うメーカーも増えています。

クリエイティブな発想法への応用

製造業でも新製品を生み出す創造力が求められます。
脳科学研究からは、“ひらめき”の多くが「リラックス状態」や「一見無関係な情報の組み合わせ」から生まれることがわかっています。
会議でも黙って考え込むよりウォーキングや軽い運動、雑談からアイディアが生まれるのは、脳のデフォルト・モード・ネットワーク（DMN）が活性化しているからです。

“発想の転換が苦手”“同じパターンから抜け出せない”という悩みも、脳の癖に起因しています。
このことを理解した上で、意図的に“意識の脱力”や“異分野との接触”を促す仕組みづくりが今後の製品開発に求められています。

現場業務における脳科学活用：品質・生産性・安全の向上

作業設計とヒューマンエラー対策

製造現場の致命的な事故の多くは、人の集中力の限界（約90分周期で低下）や「同じ作業の繰り返しによる脳の適応」から起きます。
脳科学では「エラーは仕組み（現場設計）で防ぐもの」という考え方が主流です。
ポカヨケ（ヒューマンエラー防止法）は、脳のミスのメカニズムに即した最善の対策と言えるでしょう。

また、タクトタイムや作業サイクルに変化をつけたり、休憩のタイミングを見直したりすることで、無意識のうちに能力を最大化する現場設計が可能です。

IoT・自動化×脳科学のシナジー

工場の自動化やIoT導入においても、人と機械のインターフェース最適化がカギとなります。
センサー情報やアラート表示、異常発生時の対応は、「人間が一度に処理できる情報量」や「ストレスに対する脳の反応」を考慮して設計することで、混乱やトラブルを未然に防げます。

多くの現場では、「とにかく情報は多い方がいい」となりがちですが、重要な情報が埋もれてしまうリスクがあります。
脳科学を理解し、本当に必要な情報だけを抽出・強調することで効率化が進みます。

バイヤー・サプライヤー視点：脳科学でコミュニケーションを進化させる

交渉・商談と脳科学

バイヤーに求められる“説得力”“交渉術”にも脳科学の知見が活きます。
合理的な理屈（新皮質）だけを並べても、相手の感情（辺縁系）がマイナスに働いていたら合意は得られません。

交渉の序盤で「アイスブレイク」を挟む、相手の目線に共感を示す、情報提示の順序を工夫するなど、人の脳の反応パターンを理解して戦略を練ることが重要です。
また、バイヤーを目指す方も、自身の思考癖や感情の動きを客観視できると、より冷静かつ効果的な意思決定が可能となります。

コミュニケーションの質向上

サプライヤーがバイヤーの考えや企画意図を深く理解したい場合、単なる情報交換ではなく「共感」「理解」「体験共有」が重要です。
脳は“物語”や“エピソード”で物事を記憶しやすいため、自社製品の強みをエピソードで伝える、現場訪問を促すなど、脳科学的アプローチでコミュニケーション自体の質を高めることができます。

また、オンライン商談の増加で「相手の顔が見えにくい」という課題もありますが、五感刺激（画像・動画・音声）を活用することで、脳の情報処理効率を高め、商談の成功率を上げる工夫もできます。