投稿日:2025年11月22日

日本企業が誤解している海外の“品質基準”の現実

はじめに:品質基準は世界共通ではない

日本の製造業は「高品質」という言葉に非常に敏感です。
長きにわたるモノづくりの歴史と現場力に裏打ちされた「日本品質」は、国内外から高く評価されています。

しかし、グローバル化が進む今、国内の常識が通用しないことも増えています。
特に、海外企業との取引や現地生産の増加に伴い、「品質基準」への捉え方の違いが浮き彫りになるケースが目立ちます。

この記事では、20年以上現場に関わり数々の海外調達・品質保証の現場を経験してきた立場から、「日本企業が誤解しがちな海外の品質基準の現実」を分かりやすく解説します。
バイヤーやサプライヤー、これからグローバルに羽ばたこうとする日本の製造業従事者にとって、一歩先の気づきとなる実践的なヒントを提供します。

品質基準=絶対の「正解」ではない

日本の常識は世界の非常識?

日本企業の現場では「不良ゼロ」や「パーフェクトな品質」を追求する文化が根付いています。
それに対し、海外(特に欧米や新興国)では「経済合理性」を重視し、不合理なくらい厳しい基準は敬遠されます。

たとえば、微細なキズや色ムラもNGにする日本の感覚は、海外バイヤーから「過剰品質」と見なされることがあります。
「B品レベルでも市場で十分通用する」「用途に見合った必要十分な品質でOK」という考え方が広がっています。

「合格点」の線引きの根本的な違い

海外では、ISOやASTM、ENなど第三者機関の規格に合致すれば「品質が担保されている」と見なす傾向が強いです。
規格外の管理項目や日本特有の“暗黙の了解”は、現地スタッフには浸透しません。
逆に、「なぜそこまでシビアにするの?」と現場が困惑するのを何度も目の当たりにしました。

実は日本も「コスト」を重視している

バイヤーや工場長としての経験から言えるのは、日本企業も納期やコスト、現場の負荷といった制約のなかで、自然と「落しどころ」を探している現実です。
「品質至上主義」とは言いつつも、本音と建前を上手くすり合わせている現場は少なくありません。

昭和のアナログ的品質管理が今も根付いている理由

「先輩が決めたルール」は本当に最善か

日本の多くの製造業は、設計図に書かれていない「現場の勘と慣習」で運営されています。
「このくらいまでならOK」「前例があるから大丈夫」という判断基準が脈々と受け継がれてきました。

この“昭和の品質観”は、ミクロン単位でこだわる技術屋魂から生まれたものです。
ただし、それがグローバル市場においては「無駄な高コスト圧力」や「納期遅延リスク」に直結していることも無視できません。

紙伝票と印鑑文化が足かせに

品質記録や異常処置の証跡を、紙伝票や印鑑回覧で管理している現場は今も多いです。
このアナログ管理は、内容の即時共有やデータ活用の点で海外工場との連携に不向きです。
また、トレーサビリティが求められる現代では、システム化の遅れが「信頼性の欠如」と取られかねません。

現場の自動化・DXでも品質基準は変化する

製造DXやIoT導入が進む中、ローカルな品質ノウハウだけでは多拠点運用に対応できません。
システマティックな品質基準と実装が不可欠となっています。
「人間系の長年の感覚」から「データに基づいた合格判定」へのパラダイムシフトの必要性が高まっています。

海外サプライヤーとの品質ギャップを埋めるには

「押し付け」から「対話」へ

日本流の品質基準を一方的に提示して「守れないなら取引できない」と迫るやり方は、確実に反発・誤解を招きます。
むしろ、サプライヤーが持つ現地の常識や経験価値を聞き出し、「お互いの合格点」=ウィンウィンの着地点を探ることが重要です。

製品用途・顧客要求・ローカル法規など、品質に必要な要素を「共通言語」で整理し、一つ一つ合意形成していくプロセスが成功のカギです。

SQA(サプライヤー品質保証)の現実

バイヤーの立場から言えば、長期的な信頼関係づくりには「監査」だけでなく「現場育成」が不可欠でした。
現場に入り込み、なぜそれが必要なのか背景から説明し、サプライヤーと一緒に現物・現場・現実(現認)を確認します。

一方的な指摘や矯正は控え、目標(保安性・性能・コスト)の優先順位を丁寧に組み立て、「現実的な水準」の共有を繰り返すことが結果的に最短ルートとなります。

「不良品=日本で全量NG」の幻想

欧米では「サンプル合格」や「抜き取り検査」でOK、細かい外観不良は仕分け後に市場流しも許容範囲、という運用例も多いです。
不良ゼロを押し付けるほど、サプライヤーのコスト転嫁を招き、競争力が低下します。

「使用目的と市場要求を明確に説明し、その範囲で合格」とする、現場起点の判断基準こそ実務で最も機能します。

品質基準の「真の意味」を見つめなおす

何のための品質基準か?

本来、品質基準の目的は「顧客が安心して使える」「持続的に利益を生む」ことです。
単なるチェック項目や数字のノルマ化、意味のないルールの形骸化は本末転倒です。

現場から現場へ、顧客から顧客へ、時代の変化に合わせて「なぜこの基準が必要なのか?」を問い直すこと。
制約条件下で最大の価値を生む「合理的な合格点」を皆で探す、そのプロセスがグローバル製造業に求められています。

品質=ノウハウの塊

日本の“現場力”が生み出してきたノウハウは世界でも稀有な財産です。
しかし、それを「唯一の正解」と誤解せず、他者の知見や市場の要請と柔軟に組み合わせ続けることが、これからの品質リーダーに求められます。

「これが世界基準だ」と押し付けるのではなく、「私たちの現場では、なぜそれが最適か」を論理的に説明できる技術力・コミュニケーション力が必要です。

メーカー=品質保証の責任者

最終的に、製品の市場クレームや評価はメーカーが責任を持ちます。
「誰が決めた品質だから大丈夫」という他責思考に陥らず、自社顧客・現地市場の声を最優先し、合意形成と継続的改善を愚直に繰り返しましょう。

それが日系製造業として、グローバル市場で生き残るための最大の武器となります。

おわりに:昭和の知恵とDX時代の合理性を融合せよ

日本企業が誤解しがちな「海外の品質基準」には、単なる文化ギャップや誤解以上の、経営と現場の深い課題が潜んでいます。

昭和の職人気質・現場経験・手作業の精度を否定せず、AIやデジタル技術で合理化を図り、グローバルな市場・用途に合わせて柔軟に「合格点」を見つけ出していく。
その現実的なバランスづくりが、令和・グローバル時代の日本製造業の新しい競争力となります。

品質は、「競争するもの」から「共創するもの」へ。
これからの製造業は、互いの強みを持ち寄り、最適解をチームでつくる『集合知』の時代です。

本記事がそのはじめの一歩になれば幸いです。

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